フィリピンにおける「サマ・サマ」の概念:共同体と共有される幸福の文化人類学的考察
フィリピンの幸福観と「サマ・サマ」の概念
世界の様々な文化において、幸福の定義は多様な様相を呈しています。個人主義が重視される文化圏では、自己実現や個人的な達成感が幸福の主要な要素とされる傾向が見られます。一方、集団主義や共同体主義の傾向が強い文化圏では、個人の幸福が共同体との関係性や調和の中に位置づけられることが少なくありません。東南アジアに位置するフィリピンもまた、独自の文化的な幸福観を有しており、その理解には「サマ・サマ (Sama-sama)」という概念が重要な鍵となります。
「サマ・サマ」はタガログ語などで「一緒に」「皆で」「共に」といった意味を持つ言葉ですが、単なる物理的な集合を指すだけでなく、心理的、感情的な一体感や連帯感を内包しています。フィリピン社会の基盤には、強い家族主義と近隣共同体への帰属意識があり、「サマ・サマ」はこの社会構造の中で育まれた概念であると言えます。本稿では、この「サマ・サマ」という概念がフィリピンの人々の幸福観にどのように影響を与えているのかを、文化人類学的な視点から考察します。
「サマ・サマ」が育む共同体の絆と幸福
フィリピン社会において、「サマ・サマ」は日常生活の様々な場面で見られます。家族や親戚が頻繁に集まる機会が多いこと、近所の人々との助け合いが当たり前に行われること、さらには職場や学校における人間関係においても、この「共にいること」「一体であること」が重視されます。これは、経済的な状況に関わらず、人々が困難な状況に直面した際に、家族や共同体のメンバーがお互いを支え合うという相互扶助の精神が根付いているためです。
例えば、フィリピンでは冠婚葬祭や祭りといった共同体全体のイベントは、多くの人々が「サマ・サマ」で準備し、参加します。これらの機会は単なる儀式や娯楽に留まらず、共同体の結束を再確認し、強化する重要な機能を持っています。共に汗を流し、共に笑い、共に食事をすることで生まれる一体感や喜びは、個人の内的な充足感を超え、共有される幸福感として認識されるのです。
また、自然災害が多いフィリピンでは、災害発生時の助け合いにおいて「サマ・サマ」の精神が顕著に表れます。被災者が互いに食料や物資を分け合ったり、ボランティア活動に多くの人々が参加したりする姿は、苦境においても「共に乗り越えよう」とする共同体の力を示しています。こうした経験は、個人の脆弱性を補い、安心感や帰属意識を高めることに繋がり、結果として逆境の中での心の安定や幸福感の維持に寄与していると考えられます。
他文化との比較と「サマ・サマ」の独自性
「サマ・サマ」に見られる共同体を通じた幸福の追求は、アフリカの「ウブントゥ」(Ubuntu:「私は私たちの中にいるから存在する」)やラテンアメリカ先住民の「ブエン・ビビール」(Buen Vivir:「良く生きる」)といった、他の共同体主義的な文化における幸福観と共通する側面を持っています。これらの概念も、個人の幸福を切り離されたものではなく、共同体や自然環境との調和、相互の繋がりの中に位置づけています。
しかし、「サマ・サマ」にはフィリピン独自の歴史的、社会的背景に根差した特徴があります。長きにわたる植民地支配や、島嶼国家という地理的要因が、地域ごとの強いコミュニティ意識と、血縁や地縁に基づく相互扶助ネットワークを発達させました。また、フィリピンのカトリック信仰も、共同体的な価値観や助け合いの精神を育む上で影響を与えている可能性があります。
西欧の個人主義的な幸福観、例えば個人的な自由、自己決定、自己実現といった要素が強く押し出される価値観と比較すると、「サマ・サマ」は「共にいること」自体に価値を見出し、他者との関係性の中で幸福を捉える傾向が強いと言えます。これは、個人の成功や達成が、同時に家族や共同体の誇りとなり、喜びとして共有されるというフィリピン社会の構造とも深く結びついています。
現代社会における「サマ・サマ」と幸福
現代のフィリピン社会は、都市化、グローバル化、テクノロジーの進展といった変化の中にあります。これらの変化は、伝統的な共同体のあり方や「サマ・サマ」の実践にも影響を与えています。都市部では核家族化が進み、かつてのような緊密な近隣関係が希薄になる傾向が見られます。
しかし、ソーシャルメディアなどの新しいテクノロジーは、物理的な距離を超えて家族や友人、故郷のコミュニティと繋がる新たな手段を提供しています。オンライン上で「サマ・サマ」を感じる機会が増え、離れていても互いを気遣い、情報を共有し、精神的に「共にいる」ことが可能になっています。また、海外で働くフィリピン人労働者(OFW)と国内に残された家族との絆を維持する上でも、デジタルな繋がりは重要な役割を果たしており、これも現代的な「サマ・サマ」の一形態と見ることができるかもしれません。
伝統的な形態は変化しつつも、「サマ・サマ」の精神、すなわち「共にいること」「共有すること」に価値を見出す文化的な基盤は、フィリピンの人々の幸福観において依然として重要な要素であり続けています。これは、たとえ物理的な距離や社会構造が変化しても、人間が他者との繋がりや共同体への帰属感を幸福の重要な源泉として求め続ける普遍的な側面を示唆しているとも言えます。
結論
フィリピンにおける「サマ・サマ」の概念は、単なる言葉以上の意味を持ち、共同体の結束、相互扶助、そして共有される経験の中に幸福を見出すという、フィリピン文化独自の幸福観を理解するための重要な視座を提供してくれます。これは、個人の内面や達成に焦点を当てる幸福観とは異なり、他者との関係性や共同体との一体感に重きを置く考え方です。
「サマ・サマ」を通じた幸福の探求は、フィリピン社会の強靭さや、困難な状況においても人々と共に立ち上がろうとする精神の根源にあると考えられます。多様な文化における幸福の定義を探求する上で、フィリピンの「サマ・サマ」は、共同体の価値と共有される経験が個人の幸福にどのように寄与しうるのかを示す興味深い事例と言えるでしょう。これは、普遍的な人間の幸福というテーマに対し、文化的多様性がいかに豊かな視点をもたらすかを改めて認識させてくれるものです。